森想木工舎
意匠/設計/製作 担当
木工 田澤 祐介
1970 神奈川県横浜市生
1989 神奈川県立清水ヶ丘高校卒業
1993 新潟大学農学部林学科卒業
1995 新潟大学大学院農学研究科林学専攻修了
自然環境/動植物調査を行う建設コンサルタント会社に就職。
2002 岐阜県高山市の森林たくみ塾に入塾、木工を学ぶ。
2004 たくみ塾卒塾
インテリアショップ付属の家具工房での製作業務、中古北欧家具を扱う店での修理・接客業務に従事。
2006 神奈川県海老名市でフォレストファクトリー木工舎開設 。
2010 森想木工舎としての活動を開始。
「第6回 暮らしの中の木の椅子展(2008)」入選 スツール:「 Fraxinus」
工芸都市高岡2009クラフトコンペティション 入選 「Stone of Forest "SEKIMORI"(ペーパーウェイト)」
工芸都市高岡2014クラフトコンペティション 入選 「uronge(蒔地漆片口/酒器)」
ちょっと大袈裟な言い方ですが、いつも森を想いながら木でのものづくりをしています。
普段の製作においては、樹皮がそのまま残った耳付の一枚板や銘木を使うこともありますが、決められた厚さなどに製材された板を使う事が多いです。
木工を始める前は野山を歩きまわって自然の環境を調べる仕事をしていました。その頃は北は北海道から南は九州沖縄まで、仕事で色々なところへ行かせてもらい、あちこちの自然や森を見ることができました。
「こんな森の奥まではこういった仕事でもなければわざわざ人は来ないだろうな、」というような奥地まで行かなければならないこともありました。周りに誰もいない山奥でひとり弁当を食べていたら、クマに唸られて、慌てて荷物を持って退散してきたこともありました。ですが、そんな奥地にも昔の人が樹を伐り倒した後や、幹に刃物で日付を印した後などを見つけることがあり、感慨を覚えることもしばしばでした。
仕事で入った多くの里山では、山菜を採ったり、狩猟をする際など、山仕事をした時に歩いたところが踏み跡として残っていて、仕事の時もそういった道沿いを歩くことが多かったですが、必要なときは崖のような斜面を登り降りしたり、沢沿いを歩いたりもしました。
そのせいかどうか、どんな樹が山のどんなところにどれくらい生えているのかということが何となくわかるようになりました。例えば、家具によく使うナラの樹が山のどんなところにどれくらい生えていて、大体どれくらいの太さの物が多くて、家具に使えるような太い木は国内にはもう、あまりないみたいだとか、ヤマザクラの樹はナラの木のように一面に生えるような樹ではないから、そもそもナラよりも量が少ないとか、そういうことが少しわかるようになりました。
だから、木でのもの作りをしている今、素材である木と向き合うと、その木がどんな森にどんな風に生えていたのかに想いがおよび、素材である木を大切に使いたいという気持ちが起きてきます。この木が生えていた森は、今どんな風になっているのだろうかと。
昨今、仕事で使う材は国産材はむしろ少なくて、ロシアや中国東北地方からの物、北米産の物が多いですが、それでも同じ事です。
私のもの作りの感覚は、自然や森と関わることで得られたものだと思っています。ですから、効率を考えれば小さな端材は捨ててしまった方がよっぽど良いのですが、それらも大切に使うことを考えて、出来るだけ活用するようにしていきたいと思っています。